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コンストラクションパーミットについて
2023.04.25コンストラクションパーミットについて
Construction permit
日本で言うところの建築許可証である。建築法自体まだあまり整っているようにはみえないのだがプノンペンを中心として他国の支援(日本もかなり支援している)だいぶ整ってきているように感じます。
コンポンスプーでは1階建ては不要、2階建ででも賃貸であれば不要(自分の家だったらという認識になるのかな)売却用の住宅は必要というルールです(2023年現在)
プロヴィンス(州)によってルールはよりけりです。今回は販売する住宅用だったのでコンストラクションパーミットは必要。
リーダー(村長)少し大きいリーダー(町長)ビックリーダー(市長?)みたいな3人のリーダーのスタンプをもらい承認してもらい発行してもらう事ができました。
建築許可書があって初めてタイトルも発行してもらえるという流れのようです。121部屋の賃貸住宅を建てるにあたっては不要との事で少し意味がわかりませんが、まぁそういうルールのようです。
カンボジアあるあるですが今回も邪魔しようとしてくる悪い輩が現れて大変でした。
元々私達の土地を販売していた人なのにお小遣い欲しさからか、少し大きいリーダーと現れて今後全ての許可証、及びタイトル発行時には毎回お小遣いくれ。みたいな事言いだして。
ビンセントが飛んで行って、鬼の首獲って終わりました。
ここが弱点。というポイントやこういう悪いことする。みたいな事にビンセントは気づくのがとっても上手なので弱点を直ぐに発見して、戦って勝つ。みたいな感じで昔から思っていましたが敵にはしたくないタイプですね…。でもなかなか勝てなかった相手だったのでとっても誇らしいです。
いろんな苦労がやっと全ていい風に変わってきているように感じます。
リーダー達も「こわっ」ってなったっぽく、「俺も土地持ってるから…もし何かあればー」みたいな感じで終わったみたいです。
これでコンポンスプーの開発や許可証、タイトルなどでトラブルが起きることはなさそうです。直近でも近所の20億規模の開発している大きな開発会社が土地オーナーとトラブルにあいタイトルが発行できなくて、60歳くらいのオーナー夫妻が泣いてるFacebookの投稿であがっていました。
オーナーが土地渡さないって言い出した。
酷い!!!!みたいな感じに見えるのですが、蓋をあけたら20億の開発なのに土地の頭金2000万円分くらいしか払ってないらしく。。。
ランボルギーニ何十台も乗り回して。。。派手にやっていたのでオーナーもお金払えよ。ってなったのでは。。。。
自業自得なのでは…と感じますね。事実は小説より奇なり。
建築許可証に関して詳しく記載されているのは国土交通省のPDFでした。
土地・建物の権利については以下の様に書かれていました。1980 年代までは政府が不安定であり、土地・建物の所有権が曖昧であった。しかし、1990 年代に、「現に使用されている農地及び宅地は現使用者に帰属させる」旨の措置が原則実施 された。従って、市街地の宅地に関しては、個人又は法人に所有されている土地及び建物 が多い(区分所有の場合を含む)。なお、外国人及び外国法人の土地所有に関しては制限が ある。
・それぞれの土地には地籍の観点から農地、宅地等の土地属性を定める仕組みがある。た だし、現時点で地籍が不明の土地もまだ多くあり、地籍総局が地籍調査を進めている。 2021 年までにそれぞれの土地の属性が整理される計画になっていた(現状は不明)。こ の属性に伴い、例えば属性が農地とされている土地に建築しようとする場合、当該属性の 変更をする必要がある(ただし、土地の属性の変更自体は比較的容易であると思われ る)。
・土地の所有者又は占有者のみが建設主となることができる1990年を内戦終了とすると今33年なんですよね。
内戦終了してから。1990 年代に、「現に使用されている農地及び宅地は現使用者に帰属させる」旨の措置が原則実施 された。
これが大きな問題なのがわかるかわからないかはとても大きな差です。ポル・ポトにより退去を余儀なくされ。
他国から住み着いたり、敵だった残党が住み着いたり。
元の持ち主に帰属させる、ではない点。にこの国の闇を感じますね。ただし、現時点で地籍が不明の土地もまだ多くあり
殺されてるからね。政府が定める義務基準としての建築構造安全基準は、現時点で無い。
と気になる点はたたある資料ですね。
くわしくはこちらご覧くださいまたカンボジアポル・ポトについて詳しくない方は是非、事実にかなり沿っている映画
最初に父が殺された ―あるカンボジア人少女の記憶
という映画を観てみてください。アンジェリーナ・ジョリーがNetflixオリジナルで映画化
カンボジアの首都プノンペンで、両親と6人のきょうだいと共に幸せに暮らしていた少女・ルオン。
1975年4月、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが首都を制圧、豊かな暮らしは一変し、
飢えと虐殺の恐怖に怯える日々に投げ出される。
家族の離散、労働収容所での悲惨な生活、子供兵士としての訓練…
5歳のルオンは、その目で何を見たのか——。
過酷な時代を痛々しいほど鮮やかに描く少女の手記、待望の復刊「一九七五年から一九七九年にかけて、
クメール・ルージュは当時のカンボジア国民の約四分の一にあたる推定二〇〇万人を
処刑、飢餓、病気、強制労働によって組織的に殺害した。
本書は私自身と私の家族の生存をかけた歴史をつづったものだ。
体験は私個人のものであるが、何百万のカンボジア人のものと重なるだろう。
あなたがこの時代のカンボジアに生まれていたとしたら、これはあなたの歴史になったかもしれない。」ビンセントのお姉さんはちょうどそのときこの映画の主人公と同じくらいの年令だったとの事です。
話がそれました。
その他でも、近所の知り合いが開発している住宅は開発して売ったあとに行政に全てハードタイトルの費用払え!と言われたらしく…
払えなくて会社がストップしてしまっています。
その他でもコンポンスプーに日本人の方が娯楽施設を作っていたのですがうまくいったとたん出ていけって言われたらしいです。
日本人の友人たちもたくさんサーキットを楽しんでいたので本当の話だとしたら悲しいですね。。。もう恐ろしすぎますね。カンボジア。
誰と組むか、どう戦うか。
とっても大事だと思います。これからも気をつけて気をつけて気をつけて頑張ります。
一先ず建築許可証とタイトルの問題が解決して一安心です。